『不動心』。。動かない心。
そこにある意味とは。
それは
《 心が動いている時に見(観)えるものは、全てが錯覚 》
という事。
ゆえに
《 自らの心の動きを止めている時のみ、周りの動きがありのまま見(観)えてくる 》
と、私は思っています。
さてさて、どういう事でしょうか…
自分が前向きにズンズン進んでいるとします。
すると、止まっている人が自分に向かってくる人に見えてしまいます。
そして自分と同じ様にズンズン進む人が、止まっている人 に見えています…
自分が動いているだけで、周りの全ての動きを自らの勝手な解釈と、勘違いを元に判断してしまう世界。。
心はいつも、何かのきっかけで動いています。。 何か考え事していたり、何かが気になっていたり。。
その事自体が悪いことではないのですが、『今の自分の心は動いているよな』と自覚できていないと大変です。
だってピタッと止まっている人を、自分に向かってくる人と勘違いしてしまいます。
自分に向かってくる人…
それはとても好意的である方もおられるでしょうし、または逆の場合もあるのかも知れませんが…
その動きがあるままでは、周りをありのままに、そのままを見つめる事は出来ません。。
それ故、動きのある中で見た世界は、その方オリジナルの錯覚です。。
誰かが私に自ら観た印象を雄弁に語ることがありましたが、その方の心の動き故の錯覚を語っているのだなあ…(´ω`)
と、お話を聞きながら観ています。。
だから人の話も心をあまり同調させ過ぎると自分を見失ったりしてしまう為に、ほどほどに心の動きを自覚しながら、時折、心を動かないように(動きを止める様に)心がけております。。
《 心を動かさないようにするには 》
その方法は…
『 心を動かさないようにしよう 』。と想うことです。
そう想う、自覚する事でなんとなく、そんな風になってきますから。。
不思議なものです。
そんな自覚を持って様々な事柄を見つめていると、ずいぶんと印象が変化したりするものです。。
自分は誤解や勘違いをしながら生きているよな…
そんな気持ちを持てると、あまり自信満々に『これは絶対だ』とか言わなくなりますし。。
またそんな風に思わなくもなります。
だって心が動いている時に見える動きの世界は、全てが錯覚であるからです。
そのままを見るには、『不動心』しかないのです…
そして不動心が出来ている方を見つける時、それは自分自身が不動心を実践している時のみです。
この方はやっているな…( ̄ー ̄)/
そんな訳で、『深いおちつき。。』は『高い興奮』よりもはるかに大切で価値のある世界だと思います。
それは深いおちつきの中で見いだす答えは、そこそこいい線行ってる事がありましたが、『高い興奮』の中で見出だした答えは、後にトラブルの元になることが多かったものです。。( o´ェ`o)
心に波風を立たせる事無く見つめる『明鏡止水平常心』
微動だにしない『不動心』
そこをまとめて『深いおちつき』としています。。
ね♪ (>_<)/