心が重たい。。
体が重たい。。
私達が日頃感じる心と体に感じる重たさと軽さのお話をいたします。。今回は心編・・
《心》
心(気持ち)が 重く感じる。。
重たさを感じても、その心の重たさを推し量る計器はありません。。
しかし、ズシッと重く感じる時はあります。
時には耐えられないくらいの重たさを感じる事もあるでしょう。。
心は目には見えないし、重たさを数値で表す機械もありません。
しかし実際に重たさを感じる。。
この重たさを心地よく感じる人はいないでしょう。。 誰だって嫌なものです。
この重たさが、心の世界において(見えない世界)、ある一定の『量』に達してしまうと『この世的(見える世界)』にトラブルが起きると私は考えています。。
ここにある種の『質』もあります。
心の世界なので、それこそ様々に無数の『質』が存在します。
大雑把に『質』を系統に分類している学問もあります。。『精神の世界や心理の世界等…』
そこで何と言われているかは、とりあえずどうでも良いです。。(●´ω`●)
自分の心は重たさを感じている事実。。
ここが大切だと思っています。。
自分でしか、この重たさを感じ取れません。。 客観的に表す機械がありませんから。
『この世界には、心の学びを修める道のりにおいて、人の心を深く汲み取り、他の人の心を感じとる優しい方がおられます。 私は実際にそんな方々を存じ上げています。。』
その様な方々は、他の方の心の重たさを自らの心に感じ取ると、心が『軽く、軽くなるように導かれます』
この軽さに導く過程では、重たさの『量』が減っていく感じがありました。。
そして『質』も変容してゆきます。。
精神や心理の理屈にのっとるものではなく・・・
笑顔や暖かさ。。 的を得たような選び抜かれた言葉。。
理屈じゃなく、理屈や知識を知らなくても誰にでも出来る事。。
そして軽くなるとスッキリと元気になるもの。。
不思議な事に、心が軽くなると体も軽くなる事が多いです。
《質量》
《 心の重たさが ある一定の『質量』を満たした時に、トラブルや病や怪我が起きているのかもしれません 》
であれば・・
《重たさの全部を消しきれなくても、わずかな1でも軽くなる事が出来れば 『一定の質量を満たさなくなる』のでトラブル等は起きてこないだろう。。》
私はそう考えて生きています。。
実際にそのような生き方をしていると、なるほど・・そうだよな。 って実感することがしょっちゅうありますから。。
そんな事を言っても、形に表したり、数値で表す事が出来ないのです。。
精度良く感じ取る訓練を積むしか道はないのです。
心は感じ取る事なので、勝手な解釈や勘違い、早とちり等が横行する世界です。。
だから良かれと思ってしていることが、人に迷惑にならないようにしなくては。。
それは自分自身で重たさを感じ取りながら、自らの重たさの『質』を変容し、『量』を減らして、軽さを作る実践の訓練で、トラブルや不調を解消して、確かな確信をえてゆく過程が積み重なってから、だんだんと人の事が観えて来て、感じ取れる人になってゆくのだろうな。。
そんな風に想っています。
暖かさと柔らかさと、深いおちつきの中に、心の軽さの道のりはあります。。
どんな場面でも。。
ね(^-^)♪
次回は体の重たさのお話をしましょうね
(^-^)/