昨日と同じに見える山の風景。
季節で景色が変わることを感じても、日々の変化については、大きな山を見ていると、あまり変化が無いように感じたりするもの。。
しかし大きな変化が日々起きている山。。
今日も何処かで新芽が芽生えている山。。
昨日見た山と今日は何も変わらないように見えているけれど…
1本の木にも新芽が芽生えたり、古くなった葉を落として新しい葉っぱを育む準備に入ったり。。大きな変化が日々起きている山。
昨日と同じ風景ではない今日の山。。
葉っぱの枚数も、昨日と今日では違うかも…
でも、遠くから見ていると昨日も今日も、同じ山に見える。。
私達の体の中の細胞達も、毎日更新して新陳代謝しながら入れ替わっています。
《 今日も赤ちゃん細胞が生まれている 》
90才を過ぎていても、今日も赤ちゃん細胞が生まれている。。
誰だって、ぴっちぴちの元気な赤ちゃん細胞が生まれています。
例え病の中におられる方であっても元気な赤ちゃん細胞が生まれています。。。
山を見て、自分と重ねて観る。。
山を見て、自分を知る。。
今日は昨日より1つ新しくなった自分と感じる。。
今日は昨日より1つ古くなった自分と想う事をやめる。。
人は病に伏している時には、病を見つめる。。
ケガも痛みも同じく、意識は痛みの箇所に集中している。。
しかし何処かでひっそりと産声をあげている赤ちゃん細胞がいることに気付いていない。。
元気な赤ちゃん細胞が生まれている自分であると認識出来ない。。
山が教えてくれた事の中の1つ…
今日の山は昨日と違うよって。。
季節の変化は山の見え方に違いが出ますが、
『年を取ったなあ。この山は』
なんて思うことはこれまで1回もありませんでした。。
そんな風に、人を見つめて生きてゆきたいです。。
年輪を刻み、見事に数千年生きる屋久島の屋久杉を見るために、世界中から多くの方が訪れます。
若い杉には目もくれず、数千年生きる《おじいちゃん、おばあちゃん杉 》に会いに来るのです。。
私達も同じなんだと想っています。。
年を重ねて、日々新しい自分に更新しているのです。。
いつか人の命はこの世を去る時が誰にでも訪れます。。
避けられること無く、誰にでも必ず起きる事です。
例えば命という概念。
命(魂)が自分そのもの だとすれば…
私が想う死とは、この体に魂が宿り続ける条件が調わなくなった時におとづれる出来事なんだろうと想っています。。
命については何度も何度も、ゆっくりと見つめてゆきたいです。。
山を見て、己を知る。。
昨日と変わらないように感じる自分。。
今日も元気で健康な赤ちゃん細胞が生まれている私達♪♪
生きていれば、時には不調を感じたりします。。
そのままにしていて、病やケガに発展することもあるのでしょう。
そうなると意識は、病やケガに集中しっぱなしになることでしょう。。
元気な赤ちゃん細胞が生まれている事に、意識が向けられることもなく、病とのやり取りに意識が全部向けられている方と 行き合う中で感じた事があります。
それはね、 その方達から発せられる言葉が特に印象的でありました。
『言葉まで病んでいる…』
そんな方は病にやられるのではなく、自滅なんだろうな…
そんな風に感じました。。
私は赤ちゃん細胞達が、元気に健やかに育ち 力を付け、そして病を克服するようなイメージを持っています。
体は必ず答えてくれます。
その為に、体を健康に保つ 或いは健康に導く手技方法を知って、実践してゆきましょう。
これからもお伝えしてゆきます (^-^)/